
(10月26日マイアミ発)
キューバ革命の指導者、フィデル・カストロの妹、フアニータ・カストロは1961年、当時のハバナ駐在ブラジル大使で、後に軍事独裁時代(1964-1985)の第1外相になる、バスコ・レイタオ・ダ・クーニャの妻、ビルヒニア・レイタオ・ダ・クーニャを通して、CIAと通じていた。
カストロ6兄弟の5番目のフアニータは76歳、「私の兄フィデルとラウル」のタイトルの本が最近出版され、また放送されて、当時の事実が明らかになっている。
これまで隠されていた事実は、メキシコのジャーナリスト、マリア・アントニエタ・コリンスが書いたもので、スペインの出版社とアメリカのテレビネットとの独占契約となっている。
ドンナの仮名のフアニータ・カストロは、ワシントンが最も強力にキューバに圧力をかけた時期の数年間CIAに協力し、アメリカがキューバに軍事攻撃する直前となった1962年10月のミサイル危機の数日前に、ロシアとキューバの協力を確認できる情報をもたらした。
その約1年前の1961年、CIAはコチノ湾への侵攻に失敗したばかりだった。
1964年以降マイアミに住むフアニータは、その告白の中で、ビルヒニアを通じて情報をCIAに渡し、「ソ連のミサイルがキューバに建造されており、ロシア人の数が日ごとに増加している」ことが確実であるとアメリカに確信させた。
彼女とアメリカのエージェンシーとの最初の接触は、1961年メキシコシティーのカミニ・レアル・ホテルで行われ、これをビルヒニアがセットした。
話の中でフアニータ・カストロは、「自分の兄弟を肉体的に消すようないかなる陰謀も行わない」ことを条件に、CIAの作戦に参加することを受け入れた」と話す。
1964年、ラウル・カストロは彼女に、キューバ政府は「反革命活動」に関する対応策を持っていると話し、フアニータはそれをCIAに伝えて、交換条件としてキューバからの脱出を要求した。
ユニビジョンの放送の中での発言で、その年の6月にフィデルに最後にあったが、彼女がCIAと関わっていることを知っている様子はなかったと語った。
この記事の締め切りの時点で、フアニータの話について、キューバ、アメリカの反応はない。
<写真:フアニータ・カストロ76歳>
(091027La Jornada: Confirma Juanita Castro que informo a la CIA sobre la ayuda de Rusia a Cuba)