4252キューバ革命、戦闘の50年(その7)第1部 50年の歴史・年表(6)
カストロがソ連に最初の公式訪問をしている間、アメリカとの緊張関係は高まり、キューバ人がアメリカに所有している資産を凍結するに至った。
その後の1968年、カストロはチェコへの侵攻を支持し、第三世界戦線創設を推進した。
1965年10月3日、エルネスト・”チェ”・ゲバラが共産党と政府のあらゆるポストから退くことが明らかにされた。この戦士は、後にコンゴに行き、さらに2年後にボリビアで革命に失敗し、処刑されて死亡した。
当時まで社会主義統一革命党(PURSC)と呼ばれていた政権党は、キューバ共産党(PCC)の名称を採択した。
識字教育、公共教育の面で大きな成果を上げた一方で、生活の簡素化も打ち出された。ソ連からの石油供給の減少とともに、石油の配給が実施された。政府は小企業を接収し、すべての生産とサービス提供手段を所有することになった。
「生産支援軍単位」が創設され、体制に従わない青年や宗教関係者に強制的な農業労働をさせた。
これは強い国際的圧力で1968年に閉鎖されたが、同様な仕組みが義務兵役の中で続けられ、兵役では戦場へ行く者と強制労働に行く者とに分けられた。
1969年12月、政府はクリスマスを祝うことを禁じ、前例のない規模の「1000万トンのサトウキビ収穫」を提案した。この試みは失敗し、クリスマスも1998年まで復活しなかった。
<写真左:”チェ”とカストロは、革命中は不離の中だったが、数年後二人の道は分かれた。写真右:「1000万トンの収穫」は革命政府初期の失敗の一つである>
(081208BBC Mundo:Cronologia de la Revollucion)
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