2203「五月広場の母」創立者の遺灰を捧げる:アルゼンチン(051209)
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「五月広場の母」会の創立者の一人で、1977年アルゼンチン独裁体制時に処刑されたアスセーナ・ビジャフロールの遺灰が、8日感動的な儀式とともに、ブエノス・アイレスの歴史的広場に捧げられた。
彼女は当初行方不明者の母であったが、自身が誘拐され、「死のダイビング」によって殺害された。
遺体は、今年彼女のものと確認された。
「少なくとも、ママの遺体を見て、触れ、、別れを告げることの出来た私は幸せだ。この痛みを和らげてくれるのは、唯一正義であり、殺人者が囚人になることだ。」記者に対し、ビジャフロールの娘、セシリア・デ・ビンセンティは語った。
その遺灰は、他の行方不明者の父母と同じように、その場の土と混ぜられ、広部の中央花壇の小さな穴の中に撒かれた。
この場所は、28年前から母親たちが行方不明者のために正義を求めて、毎週その周りを巡っている「五月ピラミッド」の足下にあり、この行動こそビジャフロールが初めて提案し、その生命を犠牲にしたもの。
この会のリーダー、ノラ・コルティーニャスは8日、「世界とアルゼンチン内外にこの悲しい出来事を発信するために、この広場に集まるというアイデアを、アスセーナが提案した。」と語った。
儀式は、「母」のメンバーが24時間続けて巡る、15回目の「抵抗の行進」が始まると、ピークを迎えた。
この記念すべき場所には、銅板が置かれ、次のように記された。
「アスセーナ・ビジャフロール・デ・デ・ビセンティ(原文のまま)、「五月広場の母」の創立者。行方不明になった息子ネストルと3万人の行方不明者を捜して、捕らえられ、行方不明になった。」
碑文はさらに、彼女が軍工科学校Esma、最大の秘密牢獄に連れられ、数日後海軍の死のダイビングによって命を失ったものの一人であることを説明している。
彼女の遺体は、今年ブエノス・アイレス州海岸部の村ヘネラル・ラバージェの墓地で、無名のまま埋葬されているのが発見され、それがフローレスのものであると鑑定された。
死体は1977年にここに運ばれた。
彼女の仲間やフランス人の尼僧の遺体も同様にして発見された。
「死の赤天使」と呼ばれた、海軍の元館長アルフレド・アスティスが、サンタ・クルスの教会で集会していたところに忍び込み、彼女らを密告した。
アスティスは、ブエノス・アイレスで投獄されており、パリの裁判所で不在のまま終身刑を言い渡されている。
アルゼンチンでは、約200人の元軍人、警官が当時の犯罪のため、裁判にかけられている。
<写真:ビジャフロールの遺灰を捧げる「五月広場の母」のメンバー>
(12月8日ブエノス・アイレス発)
(051209La Jornada:Depositan cenizas de Azucena Villaflor en la Plaza de Maya; culmina marcha por justicia)
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