4254アメリカがチャベスを祝福(020917)
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カストロがソ連に最初の公式訪問をしている間、アメリカとの緊張関係は高まり、キューバ人がアメリカに所有している資産を凍結するに至った。
その後の1968年、カストロはチェコへの侵攻を支持し、第三世界戦線創設を推進した。
1965年10月3日、エルネスト・”チェ”・ゲバラが共産党と政府のあらゆるポストから退くことが明らかにされた。この戦士は、後にコンゴに行き、さらに2年後にボリビアで革命に失敗し、処刑されて死亡した。
当時まで社会主義統一革命党(PURSC)と呼ばれていた政権党は、キューバ共産党(PCC)の名称を採択した。
識字教育、公共教育の面で大きな成果を上げた一方で、生活の簡素化も打ち出された。ソ連からの石油供給の減少とともに、石油の配給が実施された。政府は小企業を接収し、すべての生産とサービス提供手段を所有することになった。
「生産支援軍単位」が創設され、体制に従わない青年や宗教関係者に強制的な農業労働をさせた。
これは強い国際的圧力で1968年に閉鎖されたが、同様な仕組みが義務兵役の中で続けられ、兵役では戦場へ行く者と強制労働に行く者とに分けられた。
1969年12月、政府はクリスマスを祝うことを禁じ、前例のない規模の「1000万トンのサトウキビ収穫」を提案した。この試みは失敗し、クリスマスも1998年まで復活しなかった。
<写真左:”チェ”とカストロは、革命中は不離の中だったが、数年後二人の道は分かれた。写真右:「1000万トンの収穫」は革命政府初期の失敗の一つである>
(081208BBC Mundo:Cronologia de la Revollucion)
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この年の始め、米州機構(OEA)はキューバの除名を決定、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領はキューバの全面的封鎖を発表した。
3月には、切符を通じての食糧配給が厳しくなり、キューバ当局は、食料と衣類の販売を制限した。
第二ハバナ宣言でカストロ政府は、革命の社会主義性とソ連との緊密な関係を明らかにした。ソ連は、外国からの侵略があった場合にはこの島国を防御すると約束していた。
10月、アメリカが島東部に核兵器が存在することを発見したことから、いわゆる「ミサイル危機」が発生した。ケネディ大統領は海上封鎖を命じ、これに対してモスクワは42基のミサイル撤去を決定した。これに応じて、米国はトルコのミサイル撤去とキューバを攻撃しないことを約束した。
<写真:キューバはアメリカとソ連の確執の中心だった>
(081208BBC Mundo:Cronologia de la Revollucion)
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ラパス近く、高度4000メートルのエル・アルト市で、エボ・モラレス大統領は数万人の人々に「あなた方は新憲法を尊重すると誓うか」と呼びかけると、集まった人々は、左手を高く上げ、右手を胸に当てて、「シ(はい)」と叫んだ。
大統領は、「今日、私はボリビアの政治憲法が効力を発した」と宣言した。
<写真右:新憲法はモラレス大統領の再選を可能にした。写真中:農民、先住民、社会活動家、軍人、警官が参加した。写真右:モラレスは先住民と非先住民との和解が必要と発言>
(090207BBC Mundo:Bolivia promulga nueva Constitucion)
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<お断り:短い記事もありますが、もとのニュース通りの区分で訳しています。また短いとちょっとした気分で書けますので、ポツンポツンと出てくるかもしれませんが、ご了承下さい。>
アメリカはハバナとの外交関係断絶を通告した。キューバからアメリカへの脱国者は急増し、続く2年間で100万人以上となった。
カストロは、革命後に樹立した政権はマルクス-レーニン主義に則ったものだと宣言した。
4月17日、米国CIAに支援された反政府者1,500人からなる「侵攻部隊2506」が、カストロ打倒のために、キューバ島南部のコチノス湾(ヒロン海岸)に上陸した。
20万人の力によって侵攻は撃退され、カストロは「米州におけるヤンキー帝国主義に対する初めての勝利であると評価した。
<写真:キューバは、アメリカに支援された侵攻を撃退した>
(081208BBC Mundo:Cronologia de la Revollucion)
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ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領とその支持者は2日、「ボリバル革命」を唱える大統領の就任10年を祝った。
「私の心がそう言っている。2月15日に新たなページが書き加えられる」大統領は、その再選を可能にする憲法改正の国民投票を匂わせて、発言した。
「もしあなた方が2009年から2019年までの間もボリバル革命の第三期をやれと言うなら、私はその用意がある」カラカスでの大量動員を率いたチャベスは述べた。
この場には、ボリビア、ニカラグア、ホンジュラスの大統領と、キューバ、ドミニカ共和国の代表が参列し、その後の行進にはエクアドルの大統領も参加した。
この日は月曜日であったが、政令で休日となり365日開いているレストランも閉店させられた。
これに対し、ベネズエラ最大の企業組織Fedecamarasのホセ・マヌエル・ゴンサレス会長は、休日にしたことを「無責任だ」とし、ベネズエラ経済に深刻な結果をもたらすだろうと非難した。
<写真左:ラテンアメリカのリーダーがチャベスに伴った、写真右:多数の人々がリーダーの演説を聴こうと集まった>
(090203BBC Mundo:"Hasta el 2019")
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先住民に権力を与える以外にも、新憲法には政府と反対勢力の間の対立を深める変化がある。
大統領再選を一期だけ可能にすること、天然資源の国有化、土地の再配分を促進し、自治を明確に定義しつつ、大統領の経済における役割を確立することがそれである。
東部の各県は、モラレスがあまりに国家主義者であり、白人やメスティソを差別するだろうとして、この憲法に反対している。
こうした賛否両論の中で、100以上の法律を国会で審議しなければならず、しかも上院は野党が多数を占めている。
地元の政治専門家カルロス・トランソは、「新憲法は今後の大きな対立の最初のけり合いに過ぎない。法律を1条ごとに審議をしていけば、何年もの時間がかかるだろう。」と言う。
「もし自治と反対の方向に進めれば、地方は防御を固めるだろう。もし政治勢力を中産階級市民から先住民に入れ替えたら、市民側は自身の権力のために戦うだろう。」
多くの専門家は、法律に変えて政令を定めれば、事態はさらに悪化すると見る。
もう一つ、混乱を生じそうなのが、議会の議席の一定数を先住民に割り当てることである。既存の制度にたいして、これがうまく問題を克服できるだろうか?
最後に、憲法の施行に向かうエボ・モラレス大統領にとっての問題は、政界経済危機で、天然ガス、鉱物資源などのボリビア輸出品の価格が下がっていることである。
トランソは、今回のような大きな変革は、ボナンザの時期のほうが実現がよりやりやすいと話す。
「いま国民の関心はポケットの中や食料など他の方に向いている。」
<写真左:カルロス・トロンサ、写真右:新憲法は60対40で承認>
(090126BBC Mundo:Bolivia: cambio posible?)
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キューバはソ連との通商条約に調印し、外交関係を樹立した。7月から10月にかけて、キューバはヨーロッパの共産ブロックと中国から2万トンの武器を受け入れた。ソ連はまた、5年間に500万トンの砂糖を購入することを約束した。
この間、銀行と企業の国有化を行った結果、アメリカとの関係が悪化した。「第一ハバナ宣言」でカストロは、ラテンアメリカの人民勢力に対し、「アメリカ帝国主義」に対抗して立ち上がるよう呼びかけた。
米国大統領のドワイト・アイゼンハワーは、反共政策を承認した。ワシントンはキューバへの輸出を禁じるとともに、砂糖輸入のクォータを停止した。こうしたクオータにとって、キューバはそれまで一次産品を国際価格を上回る価格でアメリカに輸出することができた。
<写真:ソ連がキューバに接近するのに対し、アメリカは遠ざかった。>
(081208BBC Mundo:Cronologia de la Revollucion)
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憲法改正国民投票でのエボ・モラレスの勝利は、大統領の政治的立場を強め、国家再建のための変革に強い支持を与えたが、この中で、最大の変革は抑圧差別されてきた先住民の復権だろう。
50年前に、先住民は大統領官邸の前を通ることが許されなかったが、現在では36の種族がしばしば大統領を訪れることができる。
また、新憲法によって、これらの人々が政府、司法、土地の面でより大きな権利を享受することができる。
「先住民には1952年に選挙権が与えられたが、今なお意志決定には十分には参画できていない。彼らの言語、宗教、習慣も評価されておらず、これも今後変えていかなければならない」と社会行動コーディネート次官のサチャ・ジョレンティは説明する。
しかし、先住民の復権が大きな困難に直面する可能性がある。新憲法にはグレー・ゾーンがあり、また現制度との乖離が大きいからである。
たとえば、新憲法は、県(departamental)、地方(regiomal)、市(Municipal)、先住民(indigena)の4つのレベルの自治を認めているが、これにより先住民コミュニティとその指導者のスーパーパワーを認めることになり、彼らが司法の中でスーパーポジションを占めるかもしれない。
このようなことは、自身が自治を求めてきた東部諸県の反発を引き起こすだろう。
さらに、アイマラ、ケチュアなどの先住民に対し、彼ら自身の司法システムを認めた。反対勢力は、これが国家の司法と対立し、またリンチや党籍などの集団処罰を合法化すると主張する。
これに対し、ボリビアの人類学者アルバロ・ディエス・アステテは、ボリビアでは双方のシステムは両立してきたと指摘し、「多くの人が考えるようなに、コミュニティの裁判が国家のそれに変わるのではない。姦通、家畜泥棒などの犯罪に対し程度に応じた罰を柔軟に適用するものだ」と説明する。
<写真:反対派は新憲法が分裂を狙い、白人とメスティソを差別するものだと主張>
(090126BBC Mundo:Bolivia: cambio posible?)
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1月1日、1952年以降キューバを支配してきたフルヘンシオ・バティスタは評議会に実権を譲り、ドミニカ共和国に逃亡した。「反乱軍」と大学生ゲリラは直ちにハバナを占拠した。
1月8日、カストロがシエラ・マエストラから長い徒歩の道のりを経て首都に到着、民主的革命を約束して政権を握った。1940年以来の憲法は停止された。
5月17日、農地改革法が署名され、これによって大地主は420ヘクタール以上の土地を失い、20万人の農民が地主となった。また、ほとんどが米国のものであった企業の国有化計画が制定された。ラウル・カストロは国防大臣に任命された。
<写真:カストロは1月8日にハバナに到着>
(081208BBC Mundo:Cronologia de la Revollucion)
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しかし、ヒラリー・クリントンの意見がどうであれ、ラテンアメリカに向けた政策を決定するのは、バラック・オバマであると、「アメリカの進歩のためのセンター」のプロジェクト調査員ステファニー・ミラーは言う。
「オバマ政権はラ米との関係にも変革の調子を望んでいる。隣人と主に協力するためには、上から下への関係は望んでいない。」
この専門家は、バラック・オバマにとってのラテンアメリカに最初の重要課題の一つはメキシコとの関係であり、特にメリダ・イニシアティブの拡大、国境問題、移民問題であるという。
バラック・オバマは選挙キャンペーン中、「我々の関係は相互尊重のものでなければならないと思う。あまりに長い期間、アメリカは「兄貴」と見なされ、メキシコは小さな仲間と考えられてきたが、今後は「対等と対等」の関係でなければならない」と発言している。
ミラーはさらに、代替エネルギーの促進が重要で、この面では、ラテンアメリカとの協力の新たな回廊として、ブラジルへの接近が重要だと話す。
2009年4月の米州サミットにオバマが出席することを決定すれば、その外交政策が明らかになるだろう。
しかし、他の米国政権と同様、オバマ政権にとってもラ米は優先度の高い政策対象には成らないだろうとミラーは推測する。
「2つの戦争と経済危機、こちらが最優先だ」と彼女は結んだ。
<写真:ラテンアメリカ政策はオバマ型になることで専門家は一致>
(090113BBC Mundo:Que sabe Clinton de America Latine?)
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1953年 1953年7月26日に行われたモンカダ兵舎の襲撃は失敗に終わったが、キューバ革命の萌芽であると考えられている。フィデル・カストロとラウル・カストロに率いられた、フルヘンシオ・バティスタの体制に反対する160人のグループは、サンチャゴ・デ・クーバにある兵舎とバヤモの近くの4つの軍事センターへの襲撃を目指した。計画は失敗し、カストロ兄弟は捕らえられた。
1955年 カストロとその盟友は、「7月26日革命運動(M-26)」を創設した。国際的な圧力で、キューバ議会が認めた政治犯に対する特赦により、反乱者は釈放され、メキシコに亡命した。メキシコでは、エルネスト・”チェ”・ゲバラを知り、革命の計画を練り始めた。
1956年 M-26の最も戦闘的なメンバーにより革命政府が創設された。11月25日、カストロとそれに従う81人は、小型船「グランマ(おばあちゃん)」に乗り、キューバに向けてメキシコを出発した。12月2日、島の東部ラス・コロラダスの海岸に到着、シエラ・マエストラに進んでいった。途中、バティスタの軍と衝突、生存者はカストロ兄弟やチェを含めて20数人となり、彼らは山脈中に逃げ込んだ。
1957年 「反乱軍」と名付けられた、シエラ・マエストラの生存者26人から成る武装勢力は、1月17日、ラ・プラタの兵舎を占拠、最初の勝利となった。その後3月には、大統領公邸とラジオ・レロホ(放送局)を占拠する計画に失敗した。この攻撃では、バティスタの捕獲と殺害が目的だった。
1958年 3月1日、カストロは「全面戦争」を宣言、この年国内各所に4つの革命戦線を形成した。この年2月に設けた「反乱放送」革命勢力はその主張を広めていった。7月、M-26 と他の反抗勢力は協定に署名、これに基づき、住民に反政府勢力に結集するよう呼びかけた。これに対抗して政府は「夏の作戦」を展開、1万2000人の兵士を山岳部に派遣して、反乱軍との間に小規模の戦いが起こった。そして、エル・ヒグェでの決定的な勝利に続き、ギサでの最終的な攻撃では、カストロの部隊が10日間の戦いの後にバティスタの軍を敗退させ、11月20日、サンチャゴ・デ・クーバを占領した。これに続いてゲバラの部隊がサンタ・クララに、カミリオ・エンフエゴのそれがヤグァハイに到着した。ハイメ・ベガが率いていた第4部隊は待ち伏せに遭い、ちりぢりになった。
<写真左:若きフィデルは亡命時代から革命を率いていた、写真右:革命はシエラ・マエストラの中で鍛えられた>
(081208BBC Mundo:Cronologia de la Revollucion)
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「熟考」と題した連続シリーズの最新記事「米国新大統領の考え方を解読する」の中で、キューバのフィデル・カストロ前議長は、アメリカのバラック・オバマ大統領に対して、グアンタナモの返還を要求し、キューバの中にアメリカが軍事基地を持つことは、キューバ国民の意思に反し、国際的な権利の原則を侵しているとした。
少し前の「熟考」の中で、カストロはオバマを正直だと良い評価を与えていたが、今度の記事では、中東政策とイスラエルの支持に対し厳しい批判を投げかけた。
グアンタナモは、1898年のスペインとの戦争後、1903年にキューバが譲許したもので、同国は1969年のウィーン協定に反していると主張しているが、アメリカはその効果は遡及しないとしている。
<写真左:カストロは米国が国際的権利を侵害していると主張、写真右:アメリカはグアンタナモを「恒久的に」占有している>
(090130BBC Mundo:Fidel pide devolucion de Guantanamo)
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「ヒラリー・クリントンは機会あるごとに、ラテンアメリカとの関係を深めなければならない、それがアメリカ自身の国家利益である、と言ってきた」外交関係委員会のメンバーで、ヒラリー・クリントンの政治的盟友であるボブ・メネンデス上院議員はいう。
この民主党上院議員は、ワシントンの新政権が米州大陸の隣国と「非常にポジティブな関係を作り上げるよう模索する」とみている。
クリントンと同じように、オバマもアメリカにとってラ米が重要であることを認めており、「政策はより広範、活発、複雑なものになるだろう」と上院議員。
ニューヨーク出身の上院議員として、クリントンはメキシコ国境の壁建設に賛成する一方、アンデス諸国にたいする特恵関税供与、麻薬撲滅策には反対した。また、2006年9月20日のブッシュに対する発言を非難する決議には賛成した。
大統領候補者として、クリントンはベネズエラ、キューバ政権を批判し、オバマをも「前提条件なし」に独裁者と対話する用意があると発言したとして、批判した。
しかし、CNN主催のディベートでは、自身も「(民主主義への」変化の証拠があれば、キューバのリーダー、ラウル・カストロ国家評議会議長と会合する用意があると発言した。
その大統領キャンペーン中、コロンビアとの自由貿易協定に関してミニスキャンダルが発生した。彼女の主要なコンサルタントの一人であるマーク・ペンが、ヒラリーが反対していた両国間協定を守る目的で、アルバロ・ウリベ政権のために働いていたことが明るみに出た。
ヒラリー・クリントンは、夫のビルが賛成していたコロンビアとの自由貿易協定に反対している。
(090113BBC Mundo:Que sabe Clinton de America Latine?)
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アルゼンチンのクリスティーナ・フェルナンデス大統領は、大きな被害の出ている干ばつの事態に対し、非常事態を宣言した。近年70年以上で最悪の事態である。
これに伴い大統領は、農牧業者から圧力をかけられていた、税の支払い一年猶予を認めることにし、「建設業、ホテル、レストランなど、事業が悪くなったからといって税を払わないことは許されることではない」と発言した。
こうした措置は、2008年の間、この業種と緊張関係のあった大統領が彼らに接近する姿勢を見せたものと受け止められている。
数週間雨が降らない、今度の干ばつは歴史的なものとされ、80万頭の牛が死ぬ大きな被害となった。また1500万トンから2000万トンの穀物収穫を失ったと見られる。
アルゼンチン経済への影響は、少なくとも40億ドルと政府は見積もっている。
<左から、写真1:少なくとも80万頭の牛が死んだ。写真2:大統領「このような支援措置を得たセクターは他にない」、写真3:2008年、地方の生産者は政府に要求して大規模ストライキを行った。写真4:アルゼンチンへの経済的被害は甚大である。写真5:作物への被害は1500から2000万トン>
(090126BBC Mundo:Argentina declara emergencia por sequia)
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いつもご愛読ありがとうございます。
事情で時々休んで申し訳ありません。
ところで4235号にありますように、キューバ革命50周年でBBC Mundoが大きな特集をしています。
全部で15くらいの記事があるようですが、順次挑戦してみたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。
meencantaal
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